想像研究室

~ 想像研究 #1 ~ 人間社会に生きる「心の怪物」とは…

   人間社会に生きる怪物

   その名も「心の怪物」

   その怪物は人間の姿をしている

   あなたの隣にいる人間は

   人ですか? 怪物ですか?

 

時に、人間が怪物と思われることがある。
では、どういう人間が怪物と思われるのか。

怪物とは …… あやしいもの。特に、力の強い大きなばけもの。比喩的に、普通と違って、体格あるいは力量の特にすぐれた人物。(Oxford Languagesグーグル日本語辞書より引用)

怪物の例
下記(説明X)の1.2.の両方、もしくはどちらかに該当している。
そして他人に対して何かをする時、悪気も無く、特に何も感じずに、暴力などをふるってしまう存在。

説明 X

1.病気どころか風邪すらひいたことが無い。

2.生まれてから一度も血を流したことが無い(ケガをしたことがない)、または、痛みを感じない(痛覚の欠如)。

では、
タイトルにある心の怪物とはどんな人間なのか。

上記(怪物の例)を用いて、

下記(説明Y)のA病気風邪Bケガと定義し、心の怪物というのを説明していこうと思う。

説明 Y
A . 鬱などの精神病 … 鬱病は心が風邪をひいた状態であると言われることがある。
風邪(うつ病)がひどくなればもっと重い精神症状が現れる。

B . 記憶喪失などの障害 … 心が耐えられないくらいの辛いことが起こると、
記憶喪失になる場合や、多重人格を持つとも言われている。

これは実際に存在する、ある家族の話を
ヒントにして作成したコラムである。

Aさんという人がいる。

Aさんは現在、しっかりした社会生活送れていない。
それはAさんの能力や性格も関係しているかもしれない、しかし原因はそれだけではない。

他にもいくつかの原因が存在する。

その中の一つであり、大きな原因となっていること、
それは、
Aさんの父が「心の怪物」である、ということだ。

では、なぜそう思うか、
Aさんの父(この先の文章では「Aの父」と表記する)は、精神的な悩みを持っている人に対し、
頑張れと言ってはいけないということについて、
「説明されて理解はできるが、本当の意味では(気持ち的に)よくわからない」
というようなことを言っている。

この発言から分かる、Aの父が心の怪物である、という可能性について説明していこう。

子育てで話題になることがあると思うが、子どもが友達に痛い思いをさせてしまった時に、
口頭で説明すればわかるという意見がある。

それは本当にそうだろうか。

自分で痛みに気づければそれが一番だが、痛みを知らない子どもには、教えなければわからないと、私は考える。

極端な例で言えば、
痛みを感じない(痛覚の欠如した)人間が、ペンチでほっぺたをグリグリ引っ張る遊びをしていた。
それがあまりにも楽しいので、友達と一緒にしたくなり、してみたとしたらどうなるだろう。

友達が同じ感覚の持ち主であれば問題はないが、痛みを感じる(痛覚のある)人間にやってしまえば、
それは、拷問に近いのではないだろうか。

その行動原理からすれば、口頭でいくら説明しようとも理解するのは相当難しい。
同じことをしても、楽しいと感じる人間と苦痛に感じる人間が存在してしまうのだから。

これらのことを踏まえた上で話を戻すと、

Aの父は、これまで頑張れば大体のことはほとんどできてしまう人間であった。
とは言いつつ、もちろんAの父にもできないことはたくさんある。

ただ、ある程度いろいろなことが平均以上でできてしまい、これができなければこっちをやればいいと、
世の中を割とスマートに、生きてこられたのだと思われる。

そういう人間からしてみれば、頑張ればある程度のことはできるだろうと思ってしまうのも無理はない。

Aの父だけに限らず、そういう親は世の中にある程度の割合で存在していると思われる。

平均とは物事や感覚の真ん中をとっている。
数字で言えば5が平均ならば、誰かが6になれば必然的に誰かが4になるということだ。
だとしたら、世の中には平均以上できる人間がいれば、平均以下しかできない人間が存在する。

Aさんの社会的立場は、はっきり言うと平均以下どころの話ではない。
かなり低い位置にいる。
その原因はおそらく、能力というよりは10代で日本社会の通常の枠から外れてしまったことが一番の理由であると思われる。

まあ、原因はどうであれ、これまでの数十年間、Aの父は平均より上、Aさんは平均より下であったことは間違いない。

Aさんの家庭に限らず、親子間において、この差が大きい家庭の子どもは、その大きさと比例するかのように、精神的な悩みを抱えることになるのだと私は考える。

Aの父は、社会的な立場で言えばかなり優秀な方であった。

Aさんの悩みは今とても大きい。
でもおそらく、始まりはここまで大きかったわけではない。

Aさんは学生時代、いじめに悩んだ時期があった。
Aの父にとってAさんの学生時代の悩みは、頑張ればどうにでもなる悩みだと思うのかもしれない。

ただ、私は声を大にして言いたい、

「Aの父とAさんとでは、生き方も、考え方も、性格も、生きている時代も全く違うのだ」と。

人それぞれ悩むところは違う。

いじめにあう人間もいればいじめる人間もいる。
いじめにあっている人間に、「頑張っていじめられないようにしろ」と言っても、できれば苦労しない。

学生時代にいじめにあっていない親は、子どもがいじめられていても気づけないことも多いだろう。

誰にも相談できず、心の体調を崩してしまい学校をやめれば、そこで社会的に一歩出遅れる。
出遅れた分、頑張って追いつこうとするが、うまくいかない、するとまた更に悩む。

Aの父は無神経に「頑張れ」と言う、「今よりもっと頑張ればきっとうまくいく」と。
それは、頑張りが足らないから、甘えているからだ、と思うからだ。

Aさんはまた悩み、うまくいかなくなり、更に出遅れる。

これを繰り返し続けると、どんどん悩みは大きくなり、いつか取り返しのつかない状態になるだろう。

…某有名アニメの話にも怪物(怪獣)のような存在が登場する。

巨大な敵を倒すためには主人公たちも巨大になったり、巨大な怪物を改造して操縦したりして戦う。
要はある意味では主人公も怪物になるのだ。

大体は一時的だが、そういったアニメや漫画では、最後に人間に戻れなくなるとか、操っていた怪物に乗っ取られて死んでしまうなどといった危険性を秘めている設定が多い。

この話を参考にして話を続けると、

心の怪物と一緒に生活していくためには、Aさんは心の怪物になるしかないということになる。

心の怪物になって怪物バトルを繰り広げなければならない。

なぜなら怪物となり戦わなければ、心を踏みつぶされ、心を殺されてしまうから。

そしてそれが続けば続くほどAさんは怪物になってしまう。

強靭な心を手に入れたんだ、と言う人もいるだろう。

でもそれは違う、Aさんの性格は、その怪物の様な性格とは真逆な様で、どちらかと言えば繊細で優しい人間なのだ。

間違っても怪物ではない。

本来のAさんは死んでしまったことになる。

たとえ怪物になったとして、その先に待つのは怪物バトルだ。

怪物バトルが繰り広げられれば、その周りもただでは済まない。

アニメで言えば、怪獣が壊した家や建物と同じくらい、主人公が踏みつぶした家や建物もたくさんある。

心の怪物同士が戦えば、本人同士はもちろんのこと、他の家族や周りの人まで傷つき、心が参ってしまう。

そういったことを防ぐには、

Aさんが強靭な怪物になる努力をするのではなく、

心の怪物(Aの父)に、人間になってもらうことが最も重要になってくるのではないだろうか。

… 完